2022年8月30日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第36号

~巻頭言~

  「今年の 8・15」

ー平和を身近なこととして実践するー

宮﨑彌男

 

 「幻がなければ民は堕落する。教えを守る者は幸いである」(箴言29章18節)

「私から学んだこと,受けたこと,私について聞いたこと、見たことを実行しなさい。そう  すれば、平和の神はあなたがたと共におられます」(フィリピの信徒への手紙4章9節

 今年の8月15日は、戦後77回目の「敗戦記念日」でした。ロシアのウクライナ侵攻に始まるウクライナ戦争の継続、中国による対台湾軍事的支配への新たな脅威、新型コロナウイルス第7波の到来、等々の中で迎えた今年の8・15は、日本の過去・現在・未来を考える私たちにとって重要な意味を持っていたように思います。

 特に、私が注目したのは、(1)8月6~15日、TBS系のテレビ番組  NO WARプロジェクト つなぐ、つながる" と、(2)近くに住まわれる、櫻井のり子姉・櫻井孝昌兄からいただいたお二人の報告論文「日系アメリカ人二世たちの恩返し」(金城学院大学キリスト教文化研究所紀要17)でした。

 (1) 8月14(日)午後2~4,「TBSテレビ」で放映された特別番組「戦争と嘘=フェイク」は、残念ながら,わが家のテレビでは受信できなかったのですが、テーマには大きな関心があり、もし見られた方があれば、内容の一端でもお知らせいただければ、幸いです。しかし、同じく,このプロジェクトの一環として8月13日(土)に放映された、TBS(6チャンネル)の「報道特集」では、ほぼ同じ主題が,① ウクライナと戦争報道、②77年前の戦争と(日本の)メディア、の2部構成で,きめ細かな取材に基づいて、特集されており、有益な特集番組でした。録画して、2度繰り返して見ましたが、私の印象としては、ウクライナの公共放送は、戦時下にあっても,国とメディアとの関係を正しく考えようとしており、ジャーナリズムの規範性から逸脱することがないようにと努めているようで、啓発される所が多かったです。

 政府とメディアとの関係については、戦時下ウクライナの公共放送(「ススピーリネ」)を取材した金平茂紀氏の質問に答えて,「テレビ・ラジオ放送国民会議」議長のオルハ・ヘラシミウクさんは,こう答えていました。「日本では、第二次世界大戦時に,メディアは制限され、戦況を正しく伝えることが出来なかったと聞いています。ウクライナでは、状況が全く異なります。報じられているのは検閲ではなく、必要不可欠な対策なのです」と。また、「ススピーリネ」のチェルノティツキー会長が(戦時下でも)「ジャーナリズムの規範を厳守することが一番大切」と言われたこと、これは、聖書的な表現で言い換えれば、(戦時下でも,ジャーナリズムは)「人間に従うよりは,神に従うべき」ということになるでしょう(使徒言行録4:19, 5:29)。ウクライナまで足を運んで取材した金平キャスタ―は,「戦時中でも、真実を犠牲にしてはならないことをつくづく確信しました」と、番組を結んでおられました。アーメン。

(2)Youth is not youth if it is satisfied to have things alone.


 
もう一つ、我が国の将来を見通す上で、チャレンジを与えられたのは、日本における「若者たち」"youth"への伝道的教育的使命の重大性です。毎日の散策中に、いつも笑顔で挨拶される方があり、思い切って話しかけてみたところ、1941年に日米戦争が始まって間もなく,在米日系人収容所に入れられた一人の日系人青年(グレン・久米川さん)の生涯について記した報告論文をくださいました。その冒頭には、有刺鉄線で囲まれた収容所で、戦争当事国からの移民の子というだけの理由で,ひどい差別的な扱いを受けたその青年が、戦争終結も間近の高校卒業式で行った卒業生総代スピーチの一部が紹介されていました。

 「私たちはこれから先に横たわっている大きな任務を当惑しながらみている。世界は戦争と混乱によって損なわれ、社会的、経済的、政治的な再構築を必要としている。戦争が終わった今、国家間の争いの原因ともなる多くのことが残されている。多くのくすぶっているこれらの火種は、新しい文明のゴールに向かって進んでいく若い世代によって消し止められなければ大火になるだろう。この迷路から導き出すことが出来るのは、全ての国の若者たちである。私たちは世界の現状をはっきり見て,広く考え、公正に判断し、大胆に行動することによって、より良い社会を目指すことができる。世界は若い我々の広い心、エネルギー、勇気、理想主義を必要としている。もし、これからの社会で起こる事態をそのまま放置して満足しているならば、そのような若者は若者とは言えない。豊かで充実した暮らしをしたいという夢をみんなが描いている。しかし、それは自動車や高い賃金などではなく、人々がその生まれや地位によって差別されず、社会の構成員として平等に認められることである。大きなものではなく、より良いものを作るために共に働こう。より良いものとそのための変化を受け入れよう。それを実現するためには犠牲も伴う。私たちは破壊された世界を堅固で公正な世界に再構築し、新しい世界を発見してゆく努力をすべき世代である。それは奉仕の精神で行うべきことである。昨日の夢を離れて、明日の真実をの夢を実現しよう。」

  このような卒業生総代スピーチをもって収容所内の高校を卒業したグレン・久米川さんは、その後、全米日系学生再配置会議(NJASRC)より奨学金を得て、マサチューセッツ州にあるベイツ大学に進学、さらに、ブラウン大学に進み、生涯、ロードアイランド州立大学の教授として、地域の町造り等のために尽くしました。また、自ら受けた奨学金の「恩返し」として、東南アジアからの難民の子供たち等を支援するNSRC Fund(二世再配置記念奨学基金)の会長をも務めました。

 

 私は、77年前のグレン・久米川さんのこのスピーチを読み、これをこのまま、ウクライナ戦後の世界を担ってゆかなければならない、今日の日本の若者たち(“youth”)と重ね合わせて,考えざるを得ませんでした。このスピーチの言葉の数々が,時代と密着しつつ、時代を超えた普遍性を持つ内容だったからではないでしょうか。特に、「もし、これからの社会で起こる事態をそのまま放置して満足しているならば、そのような若者は若者とは言えない」(Youth is not youth if it is satisfied to have things alone.)は、名句です。

 我田引水かも知れませんが、私自身として反省させられたことは、「ICS軽井沢文庫」の主宰者として、日本における(改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指し、また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンをも与えられながら、未だ、ただ一人の「若者」"youth"の献身者、協力者も得ていないと言うことです。この分だと,私自身の高齢化と共に、このヴィジョンも立ち消えになってしまうのかも知れない。そのことを主はお許しになるのでしょうか。断じて!





「イエスの名によるいやし(救い)」

   ー最近の説教よりー

「今日私たちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと,その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」(使徒言行録4:9-10)

 昨年12月から今年の前半にかけて、日本キリスト改革派長野佐久教会では、使徒言行録3~5章により「イエスの名による救いいやし)」について学んできました。この箇所には、いく度となく、この「救い(いやし)」について、一人の男性のいやしと、このことについての使徒たちの教えが出てくるのですが、私たちそれぞれの毎日の生活に関わることなので、今一度振り返って,お分かちすることにします。

 一連の説教の中で私が繰り返し宣べたことは、イエスの名には人をいやす(救う)力がある、ということでした。

 先ず、少なくとも使徒言行録3~5章においては、「いやす」「救う」とは、同じ事であることを知りましょう。5:9で「いやされた」と訳されている原文の用語は、セソウタイですが、この言葉は,「救われた」とも訳せる言葉です。事実、この人の場合、足やくるぶしが強くなって歩くことができるようになった(3:7)という身体の「いやし」を授かっただけではなく、以後ずっと使徒たちに付き従って、証しをしている(4:14)ところから、「救われて」キリストの教会の一員となったことは明らかです。彼は、身体の機能回復と共にキリストを信じる信仰によって永遠の命に生きる者とされたのです。

 この人の信仰は、長年の教会生活によって培われた、成熟した信仰ではありませんでした。神殿の門の傍らで施しを乞うていたとき、通りかかったペトロとヨハネを見て,ひょっとすれば、自分で立ち上がることができるようにして貰えるかも知れない、と思っただけだったかも知れません。「からし種一粒のような」(マタイ17:20)小さな信仰であったのかも知れない。しかし、それでもいいのです。それでも彼はいやされました。「イエスの名によるいやし」は、小さな信仰でも、イエスを信じるならば、日常的な場面でいただくことのできるものなのです。

 どのような形で「いやされる(救われる)」か,は千差万別です。この男性のように、直ちに、奇跡的に足やくるぶしが強くなって,歩くことができるようになる場合もあります(使徒言行録3:6-8, 14:8-10)。完全な回復のためには,医学的、その他の治療など、いやしのプロセスが必要で、時間のかかることもあります。あるいは、この世では、完全な回復を望むことができず、来るべき世に持ち越し、ということもあるでしょう。しかし、聖書の(主イエスの)約束は、必ず、完全な回復の日が来るということです(イザヤ書35:3-6、使徒言行録3:20-21等々)。

 私たちにとって、「いやし(救い)」とは、何でしょうか。それは、私たちの「栄光の希望」(コロサイ書1:27)である主イエス・キリストと信仰によって結ばれ、希望と愛の内に生きるということです。主が私たちと共にいてくださることを知るときに,どんな状況にあっても,元気を回復することができます。主があなた共におられますように。

「あなたがたは,主キリスト・イエス論文を受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい」。 (コロサイ書 2:6)

  

   



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【ICS軽井沢文庫】

「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを言い表すものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2021年12月25日土曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第35号

~巻頭言~「病と死に対する勝利」

宮﨑彌男

「これらのことを話したのは、あなたがたが私によって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている。」

(ヨハネによる福音書16:33)

 クリスマスおめでとうございます。「平和の君」イエス・キリストのご降誕を喜び, 新年のご挨拶を申しあげます。

 待降節の私の説教の中で、入船尊先生の「最期の日々」に触れることがありました。入船先生は、改革派教会から派遣されて、インドネシアで10年間、伝道し、帰国後も神戸改革派神学校で実践神学など講じる傍ら、巡回教師として全国をめぐって奉仕される最中、ガンで倒れ2001年2月18日早朝、 天に召されました。今年は、召天20周年です。

 ガンで召された改革派教会の先輩教師の中で、私が特に親しい交わりをいただいたのは、九州伝道を共にした岩崎洋司先生と、この入船尊先生です。このお二人に共通しているのは、病と死に勝利し、お元気な時以上の伝道を病と死においてなさった!と教会内外の多くの方が語っている、という点です。病と死に勝利して天に凱旋した二人の先輩教師との交友は、私にとって大きな霊的財産となっています。

『生命への道』
 岩崎先生の場合は、九州伝道の同労者であり、日頃から親しい交わりがありましたので、入院中も何度かお見舞いし、葬儀の折にも、(先生のご指名で)後輩の私が説教させていただいたりしたのですが、入船先生の場合は、(2度目の)入院・手術から召される日までが短かったせいでしょうか、病院に伺ったのはたった2度ばかりでした。それで、入船先生の「最後の日々の」のことは、記念文集『生命への道』(入船佐奈江夫人編)に掲載された金沢伝道所の漆崎英之先生の手記から教えられたことです。漆崎先生は神学校教官時代の入船先生の教え子で、特別に親しくしておられ、先生の「最期の日々」、お一人で大変だった佐奈江夫人を助けて、幾日か付き添われたとのことです。私は、感謝と感動をもって、この手記全体を読ませていただいたのですが、そこに私は、正に「病と死に勝利して」召天された入船先生の証し(メッセージ)を読み取ることができたのです。お分かちします。

 漆崎先生はこう記しています。「キリストの復活の命にあずかっている先生にとって、死の問題は既にキリストにあって解決済みであることを私は知った。復活のキリストへの揺るがぬ一貫したカルヴィニストとしての先生のキリスト信仰を死の床で目の当たりにしたとき、キリスト教とは本物の宗教であることを私は知った。そしてこれこそ入船先生が生涯宣べ伝えたかった福音に他ならなかったと思う」(記念文集「生命への道」p.280f)。

 漆崎先生が代筆した入船先生の(教会員宛ての)「病床だより」には、こんな文章もあったとのことです。「…眠ることも、栄養も、排泄も、全部、薬や医療技術に支えられて生きています。すばらしい一般恩恵の恵みです。今、少しずつ、トマトを食べています。私の今の肉体に関する喜びは、かわき(舌)をいやされることです。つまり、口がカラカラになっているために、何かをのむ時は最大の喜びです。今回書いているのは、おもに一般恩恵の喜びです。イエス・キリストによる特別恩恵の喜びは、すでによく語ってきたからです。『世の中に、うまきものあり、冷たき水』。わたしの病床だよりを毎週、週報にのせてください」。召される5日前に書かれたものですが、これは立派な説教です。一般恩恵の恵みについて書いておられるのは、カルヴィニストたる入船先生の面目躍如たるものと言わねばなりません(注1)

 漆崎先生は、病床の入船先生と接する中で、キリスト教とは本物の宗教であることを知った、と言っておられます。本物の宗教ならば、”生老病死”中一番手強い「病」と「死」についても勝利するはずです!そのことを、漆崎先生は(カルヴァン的)キリスト教を奉じる入船先生において、目の当たりに見ることができた、と言っておられるのです。

 (カルヴァン的)キリスト教は、聖書の教えとして、特別恩恵を基礎づける神の一般(共通)をも重要視します。創世記3章において、アダムが、善悪を知る木から取って食べ、罪を犯したとき、アダム(とエバ)は、直ちに死ぬはずでした。主なる神から「…善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(同2:17)と言われていたからです。しかし、9節によれば、主なる神は直ちに彼らの生命を取り去ることをせず、「どこにいるのか」と声をかけられるのです。最初に一般(共通)恩恵が人類に示され与えられたのはこの時であったと、『共通恩恵』の著者、アブラハム・カイパーは言っています(注2)

 漆崎先生は、上掲の文中で、「(入船先生にとって)死の問題は既にキリストにあって解決済みであることを私は知った」と書いておられます。おそらく、先生はもうこの段階で、召される時は近い、と自覚しておられたのでしょう。しかし、そのことを恐れたり、悩んだり、悔やんだりされた気配がまるでないのです。漆崎先生は、そのことを一言も伝えておられません。その理由は、いくつかあると思われますが、一つには、祈りの中での先生の主との交わり。この中で、おそらく、先生は、世にあってさらに主と教会に仕えるのも喜ばしい事であるが、召されて主と共にいる事は、もっと喜ばしい事だ、とのパウロ的な心境に到達されたのでありましょう(フィリピ1:21-23)。しかし、もっと深いところでは、恩恵についての先生の人一倍謙遜かつ鋭敏な認識があったのではないでしょうか。死んで当然であった罪人がこれまで、主の恵みによって生かされてきたという、主の一般恩恵への自覚と感謝です。

 罪人にとって死は当然受くべき「罪の報酬」です(ローマ6:23)。アダムの子孫たる人類すべてが受けるべき定めです(ヘブライ9:27) 。 しかし、その当然とも言うべき死も、キリストが敢えて私ども罪人のために死んでくださった事により、「とげ」は取り除かれ(Ⅰコリント15:55)、復活の命への門とされました。ハレルヤを唱えながら凱旋できる…。これが入船先生にとっての死でありました。このような死は「祝福」以外の何ものでしょうか(「ウエストミンスター小教理問答37, 注3)。キリスト者にとっては、病と死の床さえも、神共にいますクリスマスの希望であり、喜びなのです。

 このように考えてきますと、私のような者でも、病と死の床に伏す時、主への感謝と喜びの内に、すなわち、病と死に対する勝利をもって、天に凱旋することができるのではないか、と思えるようになりました。これは、私にとって今年一番の大きな「悟り」でした。そして、読者の皆様とも分かち合いたいと願った次第です。

 召される5日前の2月13日、共にインドネシアで宣教師として伝道された、福音自由教会の栗原先生が入船先生を見舞い、お祈りをされたとき、入船先生は大きく息を吸い込んで、両手を上に挙げ、大きな声で「アーメン」と言われたとのことです(p.277)。これは、病と死に勝利された先生の雄叫び(宣言)であったに違いありません。

  そして、2月18日、主の日の早朝、奥様と二人で、賛美歌273Bをハミングし、インドネシアでよく歌われたと言う「アメージンググレース」を口ずさみ、主を賛美しつつ召されたとのことです(p.267)。先生は、最期の最後まで、伝道者でした(注4)。アーメン、ハレルヤ!


(注1)「一般恩恵」とは、信者・未信者を問わず、すべての人に与えられる神の恩恵のこと(マタイ福音書 5:45、使徒言行録 14:17 etc.)。「共通恩恵」「保持恩恵」とも呼ばれます(この恩恵の重要性については、「ICS軽井沢文庫だより」19~22号等もご参照ください)。これに対して、信者だけに与えられる霊的再生の恵みは「特別恩恵」と呼ばれます(ヨハネ福音書 3:3, 使徒言行録 16:30,31 etc)。入船先生が入院生活の日々、特に一般(共通)恩恵を覚えて、感謝して過ごされたことを、漆崎先生は、さらに次のように記しておられます。「2時頃、先生が目を覚まされ、水と氷を度々求められた。ガーゼにくるんだ氷を美味しそうに先生はすすっておられた。先生が梨を食べたいと言われた。季節はずれで病院の周りにあるお店に梨はなかった。ハーバーランドに行けばあると教えてくれたマスターがあった。大きな梨を見て、先生は「見事な梨じゃの...」と感嘆し、薄く切った梨を「うまいの~、うまいの~」と全身で味わっておられた。そして、面白いことを話された。「漆崎さん、ここはマンションの生活ですよ。だって、あんた。そうでしょ。何不自由ないんですから...家内何ぞは、食事を作らなくてもいいんですよ。私の食事を食べればいいんだから。時間になればちゃんと来るわけですから。部屋は暖かいし...この機械...すごいね...これは一般恩恵の恵みですよ。主は驚くべきお方ですよ...この他にも色々話された後、眠られた。...入院生活の中で、先生は自分に施される医療技術や看護といった一般恩恵の恵みに大いに関心を示された。自分の体に入ってくる点滴の一滴、一滴を見ながら先生は『この点滴のお陰で、私は痛くなくこうした生活ができるのだから、主は驚くべきかな』と感動しておられた」(pp.278~279)。

(注2)「楽園においてこの少しおかしな現象が起こった。結果的にそのとおりにはならな

カイパー『共通恩恵」』

かった一つの警告について(創世記3章は)書いているからである。罪のない状態において人は、(善悪を知る木について)「この木から取って食べるその日には、あなたは必ず死ぬ」と告げられた(2:17)。にもかかわらず、人は、その木から取って食べるのであるが、その日に彼は死なないのである。反対に、アダムはこの後非常に長く生きるー900年以上も生きるのである。

 我々は、神の言葉が成就しなかった、とは言わない。このことについては後で取り上げるが、アダムとエバがこう告げられたときに理解したに違いないと思われるような仕方では、事が起こらなかった

ことは確かである。アダムが罪を犯したその日に、アダムは死ななかった。この事実は確かである。言わば、アダムは驚くべき執行猶予を受けたのである。それは、彼自身の祈りの答えとしてではなく、神の自由なご意志の決意として受けたのである。アダムがこの日に死なず、その日、そして、その後何百年も生き続けることとなった、このような神のご意志の決意は、個人的に私たちも含めて、すべての人に与えられる一般(共通)恩恵の非常に力強い決意以外の何ものでもないし、それ以下の何ものでもない。

 アダムが罪に落ちたその日に死んだとすれば、どのような結果となったか、一度考えて見るがよい。この世界の歴史はすべてなくなってしまったことであろう。人類の進展はなかったであろう。この世界の歴史はすべてなくなってしまったことであろう。人類の進展はなかったであろう。聖書によれば、堕落前のアダムとエバにはまだ子供はなかった。「その木から取って食べるその日には、あなたは必ず死ぬ」という主の御言葉が文字通り成就したとしたならば、二人の死によって我等人類の根が全く死に絶え、地上に生を受ける者は一人もいなくなったであろう。もし一般(共通)恩恵によってこの地上におけるアダムの存在が思いがけず引き延ばされたとすれば、あなた自身の生涯、あなたの誕生、一人の人間としてのあなたの存在は、ただ単に創造の御業に由来するものではなく、恩恵に根ざす神の決意によるものだということになる。罪の全体的、直接的な結末は、もし引き止められることがなかったならば、ただ一度の死刑判決でもって、全人類を破壊することとなったであろう」(アブラハム・カイパー『共通恩恵』I、p.113)。

 「もし(アダムは)死ぬべきであったにも拘わらず、「あなたがその木から取って食べた日には、必ず死ぬ」との御言葉が告げるような、突然の直接的な終焉を迎えることがなかったとするならば、次の事があきらかである。すなわち、(1) 罪への堕落後、直ちに恩恵の啓示が始まったということ。(2) 死の力とその勝利を抑制したのは、この恩恵に他ならないこと。(3) このような、必然的で不可避であった罪の抑制は何のためだったのか。その目的は何だったのか。それは、① 先ず第一に、サタンに対して神の栄誉を守るためであり、さらに、② 第二に、創造の御業の全体(それも、特に人類のための御業)において、神の秩序を保持するためであり、そして、③ 第三に、永遠の選びの聖定を履行するためであった。①は、パウロがローマ3:26において、『それは、今の時に神が正しい方であること、すなわち神の義を明らかにするためである』と述べている『神義』に関わることである。また、②は、一般恩恵のための広い領域を示すためであり、さらに、③ は、特別恩恵によって実現を見ることとなるのである」(『同書』I、p.261)。

(注 3)  Cf.『ウェストミンスター小教理問答』(問37)信者は、死の時、キリストからどんな祝福を受けますか。(答)信者の霊魂は、死の時、全くきよくされ、直ちに栄光に入ります。信者の体は、依然としてキリストに結びつけられたまま、復活まで墓の中で休みます」(榊原康夫訳)。

(注4)  記念文集『生命への道』には、カルヴァン『キリスト教綱要』の訳者、渡辺信夫先生も追悼文を寄せておられますが、その中で、次のように記しておられます。「もう一つ付け加えたい。最後に牧師たる者の死に方についての教えを私に残してくださったことを感謝している。福音の働き人は生きて福音の証しをするだけでなく、死によっても証し、主の栄光を顕さなければならない」(p.224)。


【2月~11月の活動報告】

 今年度の2月以降、「ICS軽井沢文庫だより」を発信しておりませんでしたので、「活動報告」も滞っておりました。それで、今回は、項目別に活動報告をすることにします。

1)礼拝説教奉仕

  東部中会引退教師として、長野佐久伝道所長野会堂及び佐久会堂で、各月一回の説教奉仕をした。昨年に引き続き、使徒言行録の講解説教。長野佐久伝道所は、3年後の2024年を目処に教会設立を目指しているので、そのことも念頭におきながら、御言葉を説き明かした。各月の説教題と聖書箇所とは、次のとおり。

 2月...「混じり気のないことば」(詩編12:1~9) (4月に那覇伝道所に赴任する宮﨑契一教師が私に替わって奉仕した。感謝!)  2/7長野、2/14 佐久。沖縄伝道のために祈る群れがここ信州にもあることは心強い。

 3月...「熱心に祈る群れ」(使徒言行録1:8~14)、3/7長野、3/28佐久。

 4月...「主の復活の証人」(使徒言行録 1:15~26) 、4/4長野、4/11佐久。

 5月...「あらゆる国の人々へ」(使徒言行録2:1~13)、 5/2長野、5/9佐久。

 6月...「彼らは預言する」(使徒言行録2:14~21)、6/6長野, 6/13佐久。

 7月...「神から証明されたナザレの人イエス」(使徒言行録2:22~24)、 7/4長野、

                        7/11佐久。

 8月...「キリスト信仰に生きる」(使徒言行録2:22~32)、8/1長野、8/8佐久。

   9月...「悔い改めなさい」(使徒言行録2:23~40) 、9/5長野、9/12佐久。

 10月..「三千人ほどが洗礼を受けた」(使徒言行録2:40~41)、10/3長野, 10/10佐久

 11月..「聖霊に満ちた教会」(使徒言行録2:42~47)、11/7長野、11/14佐久。

 この他、2/28, 3/14には新潟伝道所の礼拝でも使徒言行録から説教し、祈りをもって4月より定住伝道者(長谷川はるひ先生)を迎えるよう奨励した。午後には、少人数ながら、「カイパー読書会」を行った。

2)7月22日(木/休日)日本カルヴィニスト協会講演会・総会。於・神戸改革派神学校チャペル。講演会の主題は、「カルヴィニズムと政治」。講師は、東京基督教学園(東京基督教大学) 理事長になられたばかりの朝岡勝先生と、神学校でキリスト教倫理学を教えておられる弓矢健児先生。他に、長谷部真先生が開会礼拝で説教された。朝岡先生は、教会の牧師として政治的な発言をしたり、学びや(超教派の)政治活動をした時に遭遇された様々な経験を踏まえ、カルヴィニズムと政治に関わる問題点を指摘し、今後のあり方を模索しつつ展望された。一方、弓矢先生は、カイパーの『カルヴィニズム』中の第3章「カルヴィニズムと政治的」の内容を丁寧に紹介し、時代的な制約のある事柄のあることも指摘された。私は、質疑/討論の時間に、カイパーにおける「有機体としての教会」と「制度としての教会」の区別と関係性について質問し、その重要性を述べた。

3) 9月20日(月・休日)甲信地区一日修養会が、長野佐久伝道所(両会堂)において、オンライン(Zoom)で行われた。講師は、東京恩寵教会の石原知弘牧師。四年間オランダに留学された先生が、「オランダ改革派の伝統を訪ねて」と題して、興味深い講演をしてくださった。私は、カイパー、バフィンクの死後、1920年代以降のオランダ改革派教会が、どのようにカール・バルトに対峙し、取り組み、乗り越えていったのかについて質問した。先生は、ご自分の著書(『バルト神学とオランダ改革派教会』等)も紹介しながら答えてくださったが、私にとっては、大きな刺激を受ける結果となった。カイパー、バフィンク以後のオランダ改革派教会の歴史については、一部を除いてほとんど知らなかったからである。日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の確立を目指す我々にとっては、地平線が広くなった思いである。石原先生からは、今後とも学びたい。

4) 11月16日~17日  日本キリスト改革派教会定期大会に出席(陪席)。於・刈谷市あいおいホール。コロナ禍で大会の開催も危ぶまれていた中で、議長書記団は開催に踏み切ったのであるが、出席は正議員/準議員に限られるとの通達であった。引退教師に過ぎない私には、当然のことながら、議員資格はなく、行くことなど考えていなかったのであるが、送られてきた議案書を見て、この第76回定期大会がが、5年後の2026年に創立80周年を迎える我が日本キリスト改革派教会にとって、大変重要な大会となることを悟らされた。それで、陪席でも、と思って常任書記長の坂井孝宏先生に電話したところ、渋々陪席を許してくださった。それで、片道5時間かかったが、中央線経由で、刈谷まで行き、会議を傍聴することができた。また、会議の合間に多くの、昔懐かしい教師や長老と顔を合わせ、言葉を交わして、交わりを喜ぶ事ができた。楽しい二日間の大会であった。議事としては、私が重大な関心を持っていたのは、①80周年にウェストミンスター信仰規準の「教会公認訳」を出すとの憲法委員会(第一部会)による報告と提案、そして、②70周年以降の課題検討委員会より出された「80周年宣言を作成すること」の提案であった。特に、②については、提案理由として、「過去の諸宣言を参考にして教派のアイデンティティー(固有性)の確認、また継承すると共に、新たなヴィジョンの提示のために宣言が必要と判断したため」と記されていたので、これは、私たち日本キリスト改革派教会の今後の伝道についての基本的路線を決める重要な宣言となると考えた。さすがにこの提案が議場に出された時には、多くの質問や意見が出され、3,40分間の討論がなされた。残念ながら、私には発言権もなかったので、黙って聞いているしかなかったのであるが、後で、過去40年ばかり改革派教師として伝道してきた経験から発する意見/要望として短くまとめたものを、常任書記長に提出し、また、新しく選出された「80周年宣言作成委員会」にも取り次いで貰うことにした。80周年には、日本伝道への意欲を燃え上がらせるような、良い宣言が出されるように祈りたいと思う。大会には出かけた甲斐があった。

5)「信州神学研究会」

 「信州神学研究会」は、甲信地区改革派の教師/信徒の交わりと研鑽を目的として、3年前に始まり、通常、年4回行い、今年11月で12回目を数えるに至った。基本テーマは「カルヴィニズムと信州伝道」。当番の教師/信徒が自由にテーマを選んで発題し、懇談の時を持っている。今年は以下のような主題で行った。出席者は7~8名であるが、出席の教師/信徒にとっては、貴重な交わりと研鑽の時となっている。各回のレジメなどご希望の方は、書記の宮﨑まで連絡をください。なお午前の研究発表の部分は、YouTubeでも発信しています。

 2021.2.26 「カルヴィニズムの教会論ーRBカイパをーを読み直す」(牧野信成教師)

 2021.5.28       「キリスト教政党の必要性ー信州伝道との関連でー」(宮﨑彌男教師)

 2021.9.24 「<世界哲学史>を読んで」(足立正範教師)

 2021.11.26 「アルベルタス・ピータルス 『日本宣教の諸問題』」(長田秀夫教師)

 次回は、2022.2.25 「聖書が教える結婚」(牧野有子姉)の予定。


 6)「カイパー読書会」

 オランダのカンペンで勉強してこられた、ハレファ・スルヤ先生(大阪・茨木聖書教会)の呼びかけで、「カイパー読書会」が始まり、私もオンラインで参加させていただいています。第一回は、6月25日(金)で、毎月第4金曜日の夜8時から行われています。今は、カイパーの『共通恩恵論』Common Grace の英訳を、一回に4,5章ずつ読んでいます。スルヤ先生が最初に内容をサマライズしてくださる事が多いのですが、その後、質問したり、それぞれの関心事を分かち合ったりしています。顧問は、TCU の稲垣久和先生で、現在は、7,8 名が参加しています。11月の会では、後半、私が「キリスト教政党の必要性」について、「信州神学研究会」で発表したものの中から一部、カイパーの共通恩恵論に関わる部分を紹介させていただきました。


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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2021年2月17日水曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第34号

~巻頭言~    「政治と伝道」 宮﨑彌男 

佐久会堂
 1月31日㈰の午後、佐久会堂で2021年度、(日本キリスト改革派)長野佐久伝道所の会員総会があり、私も現住陪餐会員なので、祈りを持って出席しました。今年の会員総会で重要な議案は、伝道所委員会より出された「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案でした。私は、この提案に賛成し、賛成意見を述べました。それは、次のような主旨のものです。
 「私は、伝道所委員会からの提案に賛成します。理由は、教会の頭である主イエスの御心であると信じるからです。私たちの『教会規定』によれば、「伝道所」の存在は認められているものの、それは、教会設立に至るまでの、言わば、一時的なものである。教会設立を目指して、会員一同努力することなく、いつまでも伝道所であることに安住するならば、それは、教会の頭である主イエスの御心であるとは言えない。余りに長期間、伝道所であり続けるならば、それは伝道上、決して望ましいことではない。そういう意味で、この度の伝道所委員会より提案に感謝し、賛成をしたい。
 ただ、教会設立には、伝道所からの働きかけと共に、「下からの」霊的な盛り上がり」が必要。それで、私は、教会設立をはっきりと3年後の目標として掲げるに当たり、私たち信徒にとっての課題として、次の三点を挙げたい。
 ①熱心な聖書の学び、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道。この中でも、②の「熱心な教理の学び」は、とりわけ、教会設立に向かって準備を始めようとする今の私たちの伝道所にとって、生命的に重要である。①と③はそれにフォローするとも言える。
 長野会堂の一人の姉妹が、「ウ大教理を読み直している、毎週のハイデルベルク信仰問答も楽しみ、吉田隆先生の『ただ一つの慰め』も素晴らしい」と言っておられるのを聞き、大変励まされた。ある宗教改革者が(ルターと記憶しているのですが)、「聖書とは聖書の意味である」と言って、多くの教理問答を書いた。聖書の字面を辿るだけでは、なかなか聖書が人生の指針とならない。聖書から、今日を生きる私たちへの「メッセージ」を聞き取ることが大切。その集積が教会の信仰告白/教理問答なのである。熱心な教理の学びによって、聖書の読み方、学び方も、だんだんとわかってくる。
 それでは、どのように学ぶか、これまで、私ども各自、色々な形で行ってきた教理の学びに加えて、毎週の礼拝との関わりにおいても、教理の学びができれば、一歩前進ではないか。例えば、長野佐久伝道所で説教してくださる牧野牧師はじめ、(私自身も含めて) 引退教師の諸先生方にも、毎週、説教の他に、5分間の教理問答の解説をお願いできないだろうか。こういったことの積み重ねによって、信徒レベルでの教理の学びへの熱心が徐々に喚起され、実質的な意味での教会設立に向けての準備となるに違いない。」
 以上は、1月31日の会員総会における私の発言の主旨ですが、これは、巻頭言の前半に過ぎません。もう一点主張したいことがあるのです。それは、表題に掲げた「政治と伝道」の両方における「教会」の働きを主は求めておられるということです。
 日本キリスト改革派教会は、戦後すぐの、1946年4月29日に創立されました。その時の『日本基督改革派教会宣言』には、二本の柱から成る教会の形成に対する告白と献身が表明されています。この宣言によって、私たちは、戦後75年間、伝道と教会形成に励んできたのです。この二本の柱とは、①有神的人生観世界観の確立と、②信仰告白、教会政治、善き生活において一つである制度教会の設立です。
 ①については、次のように述べています。「今後より良き日本の建設の為に我等は誠心誠意歴史を支配し給ふ全能にして至善なる神の御心に適ふ者とならざる可からず。その誡命(いましめ)の如く神を敬ひ、隣人を愛し、単に精神文化的部面に於てのみならず、『食(くら)ふにも飲むにも、何事をなすにも凡て神の栄光を顕はす事』を以って至高の目的となさゞる可からず。此の有神的人生観乃至世界観こそ新日本建設の唯一の確なる基礎なりとは、日本基督改革派教会の主張の第一点にして、我等の熱心此処に在り」。
 さらに、②については、次のように述べています。「神のみ明かに知り給ふ所謂(いわゆる)『見えざる教会』は全世界に亘り、過去、現在、未来なる全歴史を通し、地上と天上とを貫きて聖なる唯一の公同教会として存在す。然れども、我等は地上に於て、見えざる教会の唯一性が、一つ信仰告白と、一つ教会政治と、一つ善き生活とを具備せる『一つなる見ゆる教会』として具現せらる可きを確信す。是(これ) 日本基督改革派教会の主張の第二点なり」。
 この第二点が今年私たちの伝道所が3年後の目標として掲げた「教会設立」と結び付いていることはおわかりと思います。「見えざる教会」を、教会役員(牧師、長老、 執事等)によって治められ奉仕される「見える教会」として形成するのが教会設立だからです。また教会役員を選ぶのは教会員ですから、教会設立に向けての聖書と教理の学び、さらには、伝道活動のための説教と教会教育も必要なわけです。
 しかし、これらのことが十分になされ、教会が設立されたとしても、それが「神の国」実現のための最終目標であるかと言えば、そうではありません。上に記したような『創立宣言』の第一点からすれば、私たちには、全生活領域で神の栄光を表すという目標が全生涯に亘ってあるはずです。ウ小教理問答がその第一問の答で、「人の主な目的は、神の栄光を表し、永遠に神を喜ぶことです」と言っている通りです(注1)
 このこととの関連で、私は、今日の日本にあって、キリスト教政党(「立憲平和党」?「平和党」?…)を立ち上げることの可能性/必要性を問うてきました(「ICS軽井沢文庫だより」24, 25, 26, 30号等、参照)。また、19世紀後半~20世紀前半、オランダで、カルヴァン主義信仰に立つ「反革命党」を立ち上げ、1901~1905年には首相をも務めたアブラハム・カイパーの「政治的霊性」に学ぶための読書会も始めています(「ICS軽井沢文庫だより」31号)。昨年10月には、新潟で第一回の「カイパー読書会」を行いましたが、今年3月からは、佐久でも開催の予定です。
 まだまだ端緒についたばかりですが、もし「教会」(有機体としての教会ー注2)が政党を立ち上げ、日本の政界にキリストの霊の風を吹き込むことができれば、日本の政治は変わるに違いありません。また、このことを通して、制度教会の伝道も、活性化されるに違いないと思っています。私たちの『創立宣言』においては、第一点(文化、芸術、政治、…)と第二点(宗教、礼拝、伝道、…)は、有機的(生命的)に結び合わされており、キリストの王国において一つ(エフェソ書1:10)だからです。 
 「世界の希望はカルヴィン主義の神にあり。神よ,願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与えられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が既に我等の内に肇め給ひし大いなる御業(みわざ)を完遂せしめ給へ。アーメン」(1946年4月29日、『日本基督改革派教会創立宣言』締めくくりの祈り)。

(注1)アムステルダム自由大学開学講演(1881年)におけるアブラハム・カイパーの次の言葉も参照。人間生活のどこにおいても,万物の主権者であられるキリストが『私のものだ!』と言われないような領域は,1インチ平方たりとも存在しない」。
(注2)制度教会(例えば、日本キリスト改革派教会等の教派とそれに属する大中会や各個教会)とは区別された、神の国としての、広義での「教会」。クリスチャンホーム、キリスト教主義学校、キリスト教政党、等々。


【12月~1月の活動報告】

12月6日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。クリスマスは神のおとずれの時(ルカ1:68)。私たちは,神の訪問を受けて、『神われらと共にいます』主の愛(マタイ2:23)を教えられ、隣人を訪問する。伝道とは,出て行くことである(使徒1:8)。(コロナ禍においては、難しいかも知れないが…)。

12月13日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの証人となる」(使徒言行録1:6~8)。

12月20日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、クリスマス礼拝を守る。説教者は、塩田隆良引退教師、「キリストの光は我らを照らす」(ルカ1:67~80)。コロナウィルス感染予防のため、午後のクリスマス祝会や夕方のクリスマス讃美礼拝もなかったが、礼拝後、教会からプレゼントが配られ、私からも、中根文江姉の「ほのぼの絵はがき」(中根汎信先生による解説付き)を出席者全員に、1セットずつプレゼントした。文江姉の絵はがきには、体の不自由な同姉の、主を信じる創造信仰と福音信仰とが見事に溶け合った、素朴な秀作が多い。

12月25日(金
神の御子は今宵しも
わが家のX'mas concertのあとで

契一・あかり夫妻も加わり、家族4人でクリスマスを祝う。(Christmas dinner with chicken and mush-potato and piano concert by Akari and Keiichi ).

12月26日(土来年の年賀状に次のように記す。「昨年は、新しい政権が誕生しましたが、冒頭、新首相は,日本学術会議の推薦候補者6名を任命拒否し、国会でも,遂にその理由を明らかにしませんでした。最大の問題点は,国会での答弁に学術/学問への敬意と謙虚さが感じられなかったことです。戦後75年、わが国はここまで来たかという思いです。私どもの敷地に立つ『ICS軽井沢文庫』には、『主を畏れることは知識の初め』(箴言1:7)との聖句が掲げられています。今年も,この御言葉に導かれつつ,歩みたいと思います」。

12月27日(日新潟伝道所にて、礼拝説教奉仕。主イエスの証人となる(使徒言行録1:6~8 )。午後,第3回「カイパー読書会」を行う予定であったが、新型コロナウィルス感染予防のため、資料の配布のみとし、読書会は中止となった。次回は、1月17日㈰の予定。 

1月3日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、新年礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。キリストは昇天されるに当たり、弟子たちに対し「地の果てに至るまで、我が証人となる」と御言葉を賜った。この召しに応えて、弟子たちは、聖霊の力をいただいて、主の証人として全世界に遣わされた。その記録が使徒言行録である。もし、私たちも、見える形で昇天されたキリストを見上げるなら、①熱心な聖書の学びと、②熱心な教理の学び、③熱心な伝道精神へと導かれる。ここに、“下から盛り上がる”教会設立への道がある。このような私たちの伝道と教会形成への熱心を主は再臨時にねぎらい祝福して下さる。

1月10日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「主イエスの昇天と再臨」(使徒言行録1:9~11)。

1月17日(日新潟伝道所で礼拝説教奉仕の予定で、準備していたが、大雪とコロナ感染予防のため、残念ながら、新潟への出張を見合わさざるを得なくなる。新潟伝道所の礼拝は、オンライン中継で、母教会の坂戸教会の礼拝と結んで守られた。午後開催予定であった「カイパー読書会」も休会。

1月24日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、牧野信成牧師、「教会は死んでいるか」(ヨハネの黙示録3:1~6)。

1月31日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝を守る。説教者は、長田秀夫引退教師、「神の国と神の義」(マタイによる福音書6:25~34)。礼拝後、佐久会堂に移動し、今年度の長野佐久伝道所定期会員総会に出席(午後1時半~4時)。伝道所委員会より「2024年(伝道開始70周年)の教会設立を目指して具体的な計画を始めること」との提案があり、私は賛成意見を述べた。提案は、満場一致で可決された。この件については、「巻頭言」
をご参照下さい。



※ L. プラームスマ著『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』         ( 宮﨑彌男・宮﨑契一訳)は、今月は、休ませていただきます。


※ 「ICS軽井沢文庫だより」第33号(2020年12月25日)「伝道は出て行くこと」をお読みくださる方は、ラベル「ICS軽井沢文庫だより 第33号」をクリックし、タイトルの下の「続きを読む」をクリックしてください。なぜか、本文の表示部分が隠れてしまっていますので、…。



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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2020年11月2日月曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第32号

~巻頭言~「伝道は聞くことから」

宮﨑彌男  

(序)
  読者の中で、クリスチャンでない方にとっては、「伝道」(エヴァンジェリズム―福音を語る)という言葉は聞き慣れない言葉なのかも知れません。けれども、実は、「伝道」というのは、おおよそ言葉によって自己表現する私たちの基本的な人間性に通じるところがあるのです。最近、ベストセラーになった『学びを結果に変えるアウトプット大全』の中で、精神科医の樺沢紫苑さんは、学んで(インプット)ばかりで、学んだことを話そう(アウトプット)としない人たちに対して、「インプット:アウトプットの黄金比は 3:7」だと言っておられ;ます。三つ学んだら、七つ話せ、というわけです。これを聖書で言う「伝道」に適用しますと、「私は信じた。それで、わたしは語った」(Ⅱコリント4:13)ということになります。
 それで、今月は、「伝道」について考えて見ましょう。
 
(まずは、私の自分史より) 
 わたしは、「ICS軽井沢文庫だより」第14~16号「“二刀流の伝道者”」で書いたように、①日本における有神的世界観の確立と、②信仰告白・教会政治・善い生活において一つである教会の設立―を目指す日本キリスト改革派教会の教師として、日本伝道に献身している者です。
ハミルトン大学
 日本伝道への献身を表明したのは、およそ60年前の1961年12月に遡ります。たしかこの年の年末、大晦日であったと思いますが、IVCF(キリスト者学生会)主催の学生宣教大会がイリノイ大学(アーバーナ校)で行われ、全世界から集まった1万人近いキリスト者学生たちが一堂に会して聖餐式に与ったのです。講師は、当時の大衆伝道者、ビリー・グラハム師でしたが、説教の後、師は会衆に呼びかけ、世界伝道に献身したい者は、前に出るようにと招かれました。私は、その時、出ない訳にはゆかないと思い、500名程だったでしょうか、その中の一人として前に出ました。ちょうど20才の時でしたが、これが、私の日本伝道への決意表明となりました。
 私は、当時、グルー奨学生として、ハミルトン大学(ニューヨーク州クリントンにあるリベラルアーツ・カレッジ)に留学中でしたが、帰国後は伝道に献身したいとすでに思っていましたので、前に出たのは自然なことではあったのです。ただ、場が場でありましたので、私の思いの中には、「帰国したら、伝道に献身しよう」という思いと共に、「日本に遣わされる」という、日本で生まれ育った者としてはいささか奇妙なアイデンティティが芽生えたことも事実です。
 それで、私は、帰国後、日本伝道のため神戸改革派神学校に入学、1970年に卒業後、日本キリスト改革派教会の教師として任職され、今日に至っています。上記のような経緯がありますので、任地については、日本ならばどこにでも遣わされる所に行くという姿勢で、今日まで、(トロントICSでの二度目の海外留学を経て)熊本(18年)、神戸・灘(7年)、茨城県つくば市(7年)等で、伝道に献身し、従事してきました。
 「日本伝道への献身」と言えば、何か気負っているように思われるかも知れませんが、それは違います。冒頭で述べたように、伝道は聞くことから始まる、と心得ているからです(ローマ10:17参照)。聞いて信じたことを話すだけだから、そこには、特別な「気負い」はありません。「日本伝道」への献身も大げさに聞こえるかも知れませんが、海外の大学で導かれたことでありますので、これ以外の選択はあり得ませんでした。

(伝道は聞くことから)
 「伝道は聞くことから始まる」ということについて、もう少し考えて見ましょう。キリスト教で言う「伝道」の場合、「インプット」と言っても、それは、ただ本を読んだり、人の話を聞くだけではなく、先ず「神の言葉を聞く」ということが、何よりも重要です。このためには、毎日聖書を読み、祈ること、毎週心して説教を聞き、聞いたところを自分自身への神の言葉として受け止め、実行すること等が伝道のために必要です(ウェストミンスター小教理問答90参照)。なお、このこととの関連で、「創造の言葉」(創世記1章、詩編19章、ローマ1:19,20、ヘブライ11:3等々)に聞き従う毎日の生活術については、「ICS軽井沢文庫だより」第9号を、今一度お読みください。
 御言葉を聞いたならば、親しい方に話してみましょう。ただ,その場合「教える」とか「押しつける」といったスタンスではなく、ここでも、「聞く」姿勢で語ることが伝道のためには大切です。言い換えれば、交わりの中で(仲間意識を持って)語ること。そうすれば、伝道は、互いに心を豊かにされるという結果を生むことでしょう。 
 病気の方を見舞うときのことを考えて見ましょう。見舞いに行こうと決めたときには、相手は、病床で苦しんでおられる、弱っておられる、自分は幸い健康だ、御言葉の一つでも差し上げて喜んでもらえれば、などと考え、一種の気負いを持って出かけます。しかし、しばしば経験することですが、見舞いに行った私たちが却って励まされ,喜んで帰ってくるのです。これは、交わりの中で御言葉を差し上げるので、相手の方は御言葉をありがたく思って、感謝を言い表します。それが見舞った私たちにとっては、反対に大きな励ましとなり、喜びとなるからでしょう。ここに伝道の原型があります。心の内にある御言葉を「聞く」姿勢で語る、このような伝道が感謝をもって受け入れられた時、そこには交わりが生まれ、深められ、これによって互いに心豊かにされるのです。
 けれども、聖書にも多く事例が出てきますように、伝道はいつも感謝をもって受けとめられるとは限りません。むしろ、拒否されることの方が多い。しかし、それはそれで、良いのです。その時に交わりは生まれなかったにせよ、真理が語られ、希望が証されたのですから。今は受け入れない方も、時が来れば、喜んで真理を受け入れることになるかも知れないのです。また、「聞く姿勢で」語ったことによって、その方に対する理解が深まり、交わりのための準備もできたのですから。

(日本伝道も「聞く」姿勢で)
 以上述べてきた「伝道は聞くことから」という原理は、「日本伝道」という大きな課題にも適用できます。「日本」に聞くことなしに,真の意味での日本伝道はできないでしょう。19世紀半ばより欧米のプロテスタント諸教会による日本宣教が始められてより,すでに150年以上になりますが、未だに人口のわずか 0.5% の信徒しか生みだしていないという現状を考えれば、反省の余地はないのでしょうか。「日本」に聞く姿勢を持って日本伝道がなされてきたのでしょうか。
 それでは、「『日本』に聞く」とは、何を意味するのでしょうか。その一つは、正に「ICS軽井沢文庫」が目的に掲げていることなのですが、「キリスト教有神的世界観人生観の日本における確立」ということです。宗教、道徳、政治、芸術、経済、社会、言語、歴史、論理、心理、自然科学の諸分野における日本研究が必要です。このような研究を怠るならば、日本のキリスト教会は、西洋の衣をまとった外来宗教の域を出ることなく、広く日本人大衆(庶民)の宗教とはならないのではないでしょうか。
 私自身は、最近、「『日本』に聞く」姿勢を持って、遅ればせながら、日本の歴史を学び直しています。日本伝道に役立つことを信じて。

 ただ、最後に申しあげたいことは、人を救うのは神ご自身である、ということです(ウェストミンスターウ小教理問答29~38参照)。私たちは,神の救いを運ぶ器にしか過ぎないということです。私たちに求められているのは、神の御言葉を聞いて行うことだけです。

 「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって
    始まるのです。」(ローマの信徒への手紙10章17節)



(主張:管義偉首相は学術会議の推薦した会員候補者6名を任命しなかった理由をはっきりと、国民にわかるように、説明しなければなりません)


2020/10/30毎日新聞「余録」

 上掲の新聞切り抜きは、10月30日の毎日新聞一面に載った「余録」です。ソクラテスは自らを「アテナイという馬にまとわりつくアブ」にたとえました。「だがアテナイ市民はうるさいアブをはたくようにソクラテスに死刑を判決し、彼は法に従い、毒杯をあおります」。この場合、「アテナイのアブ」は、「常識に安住する者への真理の探求者による批判や挑発のたとえ」ですが、この度、自らの首相としての判断で学術会議推薦の6名を任命しなかった首相も,よほど「アブ」がうるさかったようです。しかし、一国の首相の学問に対する見識は、その国の政治と文化に深甚な影響を及ぼすこととなりますので、私たちは今回の件を決して見過ごしにはできません。任命拒否の理由を、はっきりと、国民にわかるように説明するか、もしできないのであれば、任命拒否の方針を撤回すべきです。


L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第31号より続くー

 

 第2章 試行錯誤:時代の神学


   この時代、英国では?

  当時のこのような精神は,ヨーロッパ大陸全体に拡がっただけではなく、英国やスコットランドにも広く影響を及ぼしました。スイスにおける霊的覚醒(レベイユ)がスコットランドに端を発するものであったことを、すでに私たちは述べました。チャルマースとその弟子たちは、スコットランド教会における18世紀的伝統主義に対して鋭く反発したのです。
 この時期、英国のシュライエルマッハーとも呼ばれた詩人コールリッジが、英国で文筆活動を行っていました。F. D. モーリスは、より進歩的なキリスト教社会思想の代表者でした。さらに、J. H. ニューマンと、その幾分ロマン主義的ともいえるオックスフォード運動は、英国国教会の起源と歴史的背景に新たな関心をかき立てました。 
 サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834)は、その詩作において、サウジーやワーズワースと同様にロマン主義的です。彼はまた、ドイツの哲学者カントとドイツの詩人ゲーテの影響を示す宗教的著作をも残しました。コールリッジは、宗教を本質的に倫理的なものとして提示しました。つまり、実践理性こそが宗教的知識の源泉であるとの主張です。贖罪は、人間の倫理的行為であり、神の客観的行為ではありませんでした。

 コールリッジは学派を形成しませんでしたが、彼は彼より若い多くの神学者たちに影響を与えました。コールリッジは、英国国教会内のブロード・チャーチ/自由主義運動の創始者」(注17)と呼ばれていますが、「19世紀的な特徴を著しく印象づけるものでした。

 ユニテリアン教徒の聖職者の息子であったフレデリック・デニソン・モーリス(1805-1872)は、聖公会の教会に転じ、概ね正統派として歩みました。しかしながら、永遠の刑罰の問題に関する彼の思い(sentiments)異端の疑いを呼び、結局彼は神学教授職を辞するに至ります。彼は、友人であるキングスリーやルドローと共に、自由主義の原理たる“自由放任主義”に反対して、キリスト教社会主義運動を始めました。1850年に彼は友人たちと共に、洋服の仕立、建築、鉄器鋳造等の協同作業場を開設しました。1854年には「労働者学校」を設立し、彼自身もその学校の教授となりました。彼の始めた運動は多くの強い反対にも会いましたが、この運動は英国国教会に永続的影響を及ぼし、労働組合の設立と労働者階級のための教育を促進したのです。

 カイパーはこのようなモーリスの業績を研究し、オランダ下院における初期の演説で、「彼の輝かしい才能と広範囲の活躍」(注18)に言及しました。また、カイパーは、信仰者の母であり、「真理の柱であり土台」でもある真の教会を求めた、ジョン・ヘンリー・ニューマン(1801-1890)にも共鳴しました。

 これら二人の偉大な教会指導者の相違は、ニューマンが彼の理想を古代教会に求め、最終的にその理想がローマカトリック教会で実現されたと考えたのに対し、カイパーは宗教改革の宝物を再発見し、真に改革された改革派教会でその理想を実現しようとした点にありました。両者は共に教理と生活の一致を求めました。ニューマンがそのような一致をローマカトリック教会の伝統と実践に見出したのに対し、カイパーはそのような一致を聖書と宗教改革期の諸信条に見出し、それが当時の人々の言語と生活にふさわしく翻訳されることを望みました。

(注17)Schaff-Herzog's Religious Encyclopedia, Vol. III(1958 edition), p.156.

(注18)A. Kuyper, Eenige kameradviezen uit de jaren 1874 en 1875, p.196; see also Ons Program, pp. 148, 413.


【9~10月の活動報告】


9月6日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕。「アポロとその周辺の人々」(使徒言行録18:18~28)。熱心かつ謙そんにキリストの福音を学び伝えた説教者アポロの周辺にいたキリスト信徒(プリスキラ&アキラ夫妻、エフェソ教会の兄弟たち、アカイア州の兄弟たち)が、このアポロを助け,共に福音を広めようとした、どこまでも前向きの姿勢に大いに励まされた(フィリピ3:13-14,ヘブライ12:1-2 参照)。

 9月13日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕「平和の神」。ヘブライ13:20~21)。ヘブライ人への手紙の終わりに掲げられている祝祷より、平和について学んだ。私たちがどのような生活状況の中にあっても、揺るぐことのない心の平和を得るための条件(三箇条)は、①イエス・キリストの十字架を思い起こすこと,②聖霊を求めること、③良い働きをなすための道を神様が備えてくださることを信じること、です。ここから,教会、国家、家庭において「平和を実現する」ためのすべての働きが始まります。

9月25日(金第8回信州神学研究会於・佐久会堂。7名が出席。上田在住の長田秀夫先生が「カルヴィニズムと諸宗教ー『縄文時代・宗教の社会性』」と題して発題された。「縄文時代」は、通常、約16,000年前~約3,000年前とされているが、その中の中期(約5,500年前~4,500年前)には、信州等にも縄文文化が栄えたとみられ、多くの土偶や遺物が発掘されている。この時代にまで遡って日本人の生活や文化/宗教を考察することによって,私たちの日本伝道もそれだけ視野が広くなり、深みを帯びてくる。次回は、2月26日(金)、於・佐久会堂。テーマ「カルヴィニズムと芸術」(発題:牧野信成教師)。

9月27日(日6ヶ月ぶりで、新潟伝道所を訪ね、礼拝説教奉仕。「平和の神」ヘブライ13:20~21)。礼拝後、以前から親しい樋口広祐兄(伝道所委員)に声をかけ、前号の「文庫だより」に書いたラングレーの本の読書会(「カイパー読書会」)の計画について話す。「ぜひ参加したい」ということだったので、次回出張予定の10月25日(日)の午後、新潟伝道所の会堂を借りて,第一回を行うことになった。以後、私の出張に合わせて、月一回開催の予定。坂戸教会・新潟伝道所の牧師、片岡先生も快諾してくださったので、感謝。

10月4日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。長く続いたヘブライ人への手紙の学びをひとまず終えて,今後は、使徒言行録を始めから少しずつ学び、説教することする。この日の説教の主旨は、使徒言行録を,ルカによる福音書の第二巻「昇天後のキリストの御業と教え」として読みたい、ということ。特に,主イエスは今日においても生きておられ、私たちの救いのために、(聖霊によって)御業をなしておられることを強調した。

10月11日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕。「使徒言行録に学ぶ」(使徒言行録1:1~2)。

10月25日(日新潟伝道所にて礼拝説教奉仕。「教会への挨拶と祈り」(ヘブライ13:24~25)。キリストにある信徒一人一人が同じ主にある諸教会/伝道所のために祝福と執り成しの祈りを献げてほしい。月刊『REJOICE』のコーナー[教会をおぼえてお祈りしよう]により、全国各地の教会/伝道所を覚えて祈るならば、今の時代に必要な聖霊による力強い信仰復興のきっかけとなり力となる。また、個人としても、教会としても、恵みを「受ける教会」から、「与える教会」へと成長することともなる。

 昼食後、13:40-15:40、第一回「カイパー読書会」(ICS軽井沢文庫/主催)。出席者:樋口兄、宮﨑。オリエンテーションの後、「ICS軽井沢文庫だより」第31号の巻頭言「ポスト安倍に必要な政治的霊性」(ラングレーの本『政治的霊性の実践―A.カイパーの政治家人生のエピソード』の内容を宮﨑が大雑把にまとめた小論)を読み、懇談。一つの質問は、セオクラシー(神政政治)について。中世ヨーロッパのように、教会の勢力が強かった時代においては、神の支配を政治の場で主張することは可能であったかも知れないが、今日の時代においては、極めて難しい。しかし、近代民主主義の時代においても、キリスト教信仰に適う綱領を持つキリスト教政党は十分に可能であると思われる。カイパーの政治理念は、一貫してキリスト教民主主義であった。今後とも、キリスト教政党の可能性について学んで行きたい。次回は11月22日(日)午後1時半~3時半(ラングレーの本の第1章)、於・新潟伝道所会堂。なお、スマホのボイス・メモに録音しています。


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「ICS軽井沢文庫」は、日本におけるキリスト教有神的世界観人生観の研鑽と普及のために、2016年6月14日に、軽井沢町追分36-23に設置された文庫です。“ICSInstitute for Christian Studies)は、この文庫が、日本における (改革主義)キリスト教学術研修所(大学院)の設置を目指していることを告白するものです。また、最近は、日本におけるキリスト教政党立ち上げのヴィジョンも与えられつつあります。文庫設置の経緯については、「ICS軽井沢文庫だより」第1号(2016.6.14)をごらん下さい(ラベル「ICS軽井沢文庫だより」第1号をクリック)。シャーローム。



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2020年9月8日火曜日

「ICS軽井沢文庫だより」第31号

~巻頭言~                    ポスト安倍時代に必要な

  政治的霊性

宮﨑彌男

  「私は福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる

   者すべてに救いをもたらす神の力だからです」(ローマの信徒への手紙1:16)

 
  8月28日、最長在任期間を誇った安倍晋三首相が、病気が理由とは言え、辞任を表明しました。私としては、「戦後レジームからの脱却」を唱え、軍備拡大と経済第一の「富国強兵」を旨とした同首相の政策を支持できず、早期退陣を願っていただけに、内心は、良かったとの思いを禁じ得ません。しかし、彼の残した負の遺産は甚大で、しばらくは、ゼロに戻す戦いが続きますが、一方では、いよいよ、キリスト教政党を祈り求める私たちの出番だとの刺激を受けたことも確かです。
 キリスト教政党については、「夢か、信仰的ヴィジョンか」と題して、前号にも書いたところです。「『ヴィジョンとは、見ることですから、ある程度の具体性がないと、ヴィジョンとは言えません。私どもの場合、残念ながら、まだ十分の具体性を持つに至っていないので、ヴィジョンと言い切るには、少しおこがましい感じがします」と、前号では、書かざるを得なかったのですが、いつまでも、これではいけないと思い、先ずは、第一歩として、アブラハム・カイパーが1879年に設立した、オランダの「反革命党」"Anti-Revolutionary Party"について少し調べてみることにしました。と言っても、残念ながら、私はオランダ語が読めないので、本格的な研究は、他の有能な若い方に譲らざるを得ないのですが…。
「政治的霊性の実践」
 そのように考えて、ICS軽井沢文庫を眺めていましたら、McKendree R. LangleyのThe Practice of Political Spirituality(政治的霊性の実践)が目にとまりました(注1)。副題には、Episodes from the Public Career of Abraham Kuyper, 1879-1918(アブラハム・カイパーの政治家人生のエピソード、1879-1918)とあります。トロントで、親しく講義を受けたH. Evan Runner 先生が熱の籠もった序文を書いておられるので、一読したのですが、日本におけるキリスト教政党を模索する我々にとっては、時宜にかなった本です。
 ここでは、教えられたこと三つを書きとめておきます。

 1) いつの時代においても、政治と政治家に求められるのは、神の主権性の告白とその定めへの服従である。
 反革命党は、1879年の第一回党大会で21項より成る「綱領」を採択しました。その第3項に曰く、「政治の領域においても、我が党は、神の言葉の永遠の原理を告白する。しかし、国家の権威は、直接的にではなく、教会のいかなる信条によってでもなく、政治に携わる者の良心においてのみ神の言葉ordinancesに束縛される」。このような、聖書と被造世界において啓示されている神の言葉の規範性を認める基本原理に立って、反革命党の「綱領」は、さらに、
 ① 国家主権の究極的源泉は神にある。
 ② 宗教改革的信仰を今日の時代において展開する(Cf.カルヴァン『キリスト教綱要』Ⅱにおける十戒の講解等)。
 ③ 教会と国家の完全な分離。
 ④ キリスト教的な社会改革を議会を通して、民主主義的手段によって押し進める、
等々を掲げています。」
 いつの時代においてもそうですが、とりわけ昨今のわが国の政治と政治家に決定的に欠如しているのは、真の主権者である神とその定めに従おうとする、公正と正義と愛への感受性ではないか(マタイ5:6&「ICS軽井沢文庫だより」26号所収「『政』とは何か」参照)。このように言えば、「公共の場でそのような宗教言語で語っても説得力があるはずはない。それは、あなた自身の価値観から言っていることで、国民すべてに共有できるはずがない」等という反論が出てくるのは目に見えています。それでは、政治の世界では、宗教的/信条的な言語は御法度なのでしょうか。もし、近代政治社会における多元主義 (pluralism)を否定するのであれば、このような反論は成り立つのかも知れません。神の主権性を告白し、正義と公正と愛を主張することは公共の場では許されないのかも知れません。しかし、宗教や思想の多様性を認め、多元主義に立つことは、近代政治の知恵とも言うべきことです。良心に恥じる所のないカルヴィニスト、A・カイパーはこのような政治的多元主義の立場に立って,終生、キリスト教民主主義原理に基づく政治を行ったのです。

2) キリスト教民主主義原理に基づく政治的多元主義の今日的有効性
 しかしながら、以上のように、神の主権性の告白や神の定めへの服従を党の政治的綱領の中で主張することが全く合法的で、当然のことであったとしても、カイパーや反革命党がこの点において、批判にさらされることがなかったとは言えないようです。ラングレーによれば、カイパーが1901年に反革命党の党首として、カトリックの政党と連立を組み、首相の座に着いたとき(注2)、議会での第一声は、彼の民主主義的多元主義と、キリスト教民主主義の原理に基づく社会改革の正統性を再確認する演説であったそうです。「彼は、神政政治的な手法で非キリスト教徒を抑圧するのではないか、との表に出ない恐れに対して、賢く語りました。中世から引き継がれた、そのような神政政治への不安は、福音主義キリスト者が政治の中枢的位置に座るとき、決まって表に出てくるものでした。最近の米国でも、1976年の大統領選挙におけるジミー・カーターの例を思い起こすべきです。彼も、カイパーと同様、多元主義と民主主義的改革の立場を鮮明にしなければならなかったのです」(p. 78)。

3) カイパーのヴィジョンのほとんどは、ギョーム(ウィレム)・フルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から彼が受けたものである。
 カイパーを抜きにして、反革命党の誕生とその後の歴史を語ることはできません。これは確かなことです。しかし、同時に、この反革命党の主張と実践が、カイパーにオリジナルなものではなかったことも確かです。カイパーは、この運動の中心的理念を彼の畏友とも言うべきフルン・ファン・プリンステラ(1801-1876)から受けたのです。
G.ファン・プリンステラ
ラングレーも言っています。「反革命党の真の父は、歴史家であり政治家であり福音の告白者であった、G. フルン・ファン・プリンステラであります。その原理は彼の主著『不信仰と革命』Unbelief and Revolution(1847)から躍り出てきているかのようです。 フルンは神の真理を、不信仰な時代の攻撃に晒されながらも、見極めようとしました。そして、聖書の時代から近代に至るまで私たちを囲んでいる雲のような証人から励ましを得たのです。とりわけ、彼は強調します、私たちは、今日の時代においても、独自のキリスト教的な見方を構築するように努力せねばならない。これは、聖書に無条件で服するものでなければならない。神の言葉は、政府のため、個人のための法律、倫理、権威、自由の土台である、と。歴史を聖書の眼鏡を通して見るという宗教改革者の原理をフルンは踏襲します。その一方で、人間の偽装自律性の眼鏡を通して歴史を見る世俗的ヒューマニストは、フランス革命こそが大いなる歴史の分水線である、と結論づけました。フルンはこのようなヒューマニストの思想を反聖書的(anti-biblical)であるのみならず、反歴史的(anti-historical)とも呼んでいます」(p. 22)。
 
 以上、M. R. ラングレー著『政治的霊性の実践ーアブラハム・カイパーの政治家人生のエピソード、1879年~1918年』を読んだ読後感を記しましたが、私の心の中にある願いは、これをこのままにしておくのではなく、数名の兄弟姉妹たちと読書会を開いて、今日の日本におけるキリスト教政党の可能性を探って行きたいということです(ルカ11:9~10)。それで、次のような条件で参加者を募ります。
 1) 本代(コピー代)として、3000円。アマゾンの古書で、2000円~4000円(5冊ばかり、注文できるようですが、コピーすることもできます)。英語やオランダ語が読めなくても、結構です。
 2) 共通の前知識のため、「ICS軽井沢文庫だより」1~31号の巻頭言をざっと読んでおいてください。読み易いように、プリントアウトしたものを綴じて、小冊子にすることも考えています。
 3) 読書会の日時と場所は、参加者にとって、もっとも集まりやすい日時と場所において行うこととします。
 4) この読書会は、(日本における有神的世界観人生観の研鑽と普及のため)に建てられた「ICS軽井沢文庫」の主催とします。
 以上です。関心のある方はご一報ください。あるいは、ご意見をお聞かせください。
 
(注1)ラングレーによれば、「政治的霊性」(political spirituality )とは、「公共的な事項において、罪と恵みが指し示す方向性をわきまえる能力」のこと。これは、「戦術」(tactics)とは違う。「戦術」は、時代と状況によって変わるが、「政治的霊性」は、すべてを神の栄光のためになすべし、とする神よりの召しとして、いつの時代においても、どのような状況下においても変わることはない(『同書』 p. 3)
(注2当時のオランダ議会(第二院)の勢力図は、全100議席のうち、反革命党24議席、カトリック政党25議席、その他9議席より成る与党58議席に対して、自由民主同盟9議席、自由同盟18議席、その他15議席より成る野党42議席だった。カイパーは与党の代表として、1901年~1905年、首相を務めた。



水野源三「十字架を仰いだならば」(改訂版)

 
 第30号の記事中、<(注1)水野源三さんについて>を次のように、ご訂正ください。訂正事項は、水野源三さんの詩を英訳されるなど、彼の詩に深い関心を持って、関わってこられた長田秀夫先生(元・日本キリスト改革派長野伝道所牧師)のご指摘によるものです。
水野源三の詩碑
「今日一日も」
(注1)水野源三さんについて… 水野源三さん(1937~1984)は、重度の障害を負いながら、4冊の素晴らしい詩集を残したクリスチャン詩人。彼は、小学校4年の時、赤痢による高熱での脳障害により、目と耳以外のすべての機能を失った。何度も死を願う暗黒の中にあった源三さんに転機が訪れたのは、ある牧師が母親に送った聖書により、彼がイエスによる救いを得たことによる。ある日、源三の母は、コミュニケーションをはかるため作った五十音図から彼のまばたきが示す字を拾っていて、衝撃を受けた。それがちゃんとした詩になっていたからである。不幸のどん底にあった息子が神の恵みを歌う詩人になっていたのである。このようにして、彼の詩は次々に書きとめられ、4冊の詩集(アシュラム社)となった。この出版に尽力したのが、「ちいろば先生」こと、榎本保郎牧師である。この牧師との出会いは彼に決定的な影響を与えた。彼が47才で天に召され、36年になるが、多くの人々が彼の詩集に感動し、多くのCDがリリースされている。この「十字架を仰いだならば」もその一つである。彼が住んでいた、長野県坂城(さかき)町は、彼を町の宝としている」(大塚野百合「CD『十字架を仰いだならば』について」解説文による)。
(注2)このCD、今はなかなか手に入らないのですが、私は、長野佐久教会の姉妹から借りて聞くことができました。

L. プラームスマ著

  『キリストを王とせよ―アブラハム・カイパーとその時代―』

          宮﨑彌男・宮﨑契一訳

          ー第30号より続くー

 
(訳者について:今回より宮﨑契一兄が翻訳を手伝ってくださっています。同兄の作成した下訳を、宮﨑彌男がチェックし、最終的に、意訳も含めて、読みやすい形に仕上げました。引き続き、ご愛読ください)


 第2章 試行錯誤:時代の神学


   シュライエルマハーとその学派

 
 シュライエルマハー(Schleiermacher)は彼の生きた時代の子であり、ある程度までは、その時代を代表する神学者でした。すでに私は、ロマン主義運動のことを合理主義に対する必然的な反動であると述べましたが、ある程度まで、また彼の生涯の特定の期間において、シュライエルマハーは正にこの運動の神学者であったのです。
 教会史家のネアンダー(Neander)はシュライエルマハーの死後、彼のことをこう述べました。「教会の歴史においては、彼と共に新しい時代が始まるのだ」と。シュライエルマハーの主観主義的神学に反対して強力な反対の声を上げたカール・バルト(Karl Barth)も、彼を「神学にごく稀にしか与えられない英雄」と称えることをやめませんでした。バルトは「神学の領域に限って言えば、それは正に彼の時代であった」(注9と付け加えたのです。
 言葉の限りを尽くしてシュライエルマハーの汎神論に異議を唱えたカイパーでさえ(注10、後には、次のように彼を称えました。

彼が舞台に登場した時、彼は、神学がほとんど哲学のひもによって絞め殺されそうになって、墓地の片すみに横たわり、幾人かのためらう友人たちによって、何とか歴史とヒューマニズムからもぎ取られた花で飾られているのを見出した。神学は宗教の方法に従う中で、両者共にその名声を失った。教会や教会生活に関わるすべては混乱状態にあった。しかし、それはまさに、シュライエルマハーがもはや耐えられないことであったのである。彼の考えでは、宗教的生活とは、彼自身の魂を装飾する宝石であり、教会の人々にとってのいのちの息に他ならなかった。彼はそのような宗教の名誉の回復をしたいと思った。そして、そのような名誉の回復は、教養あるドイツ国民の学問上の自尊心を満足させない限り、できないことなので、国民の間にその声が聞かれるような神学を創造することこそが彼の野心となり、また、熱情ともなったのである(注11)。

 カイパーは19世紀初頭における、神学の荒廃した位置の概略を述べるために、これらの言葉を用いました。この時代、多くの人々の考えでは、合理主義はどのような超自然的啓示の可能性と妥当性をも破壊してしまっていました。超自然主義は既に敗北した地位を守ろうと無駄に努力をしたのです。カント(Kant)の信奉者たちは、理性の要請として宗教の
場を保とうとしましたが、彼らは神知識と神礼拝を、義務の声に聞き従う責務と取り替えました。言い換えれば、彼らは宗教の占めるべき場を道徳性に替えてしまったのです。浪漫主義に関しては、それは尊重すべき歴史の領域へと郷愁をもって回帰したのですが、その過程において、しばしば宗教から美学への移行がありました。つまり、そこでは、宗教は、レンブラントの絵や印象的なケルン大聖堂と同じ仕方で、私たちの情緒に触れるべきものとされるのです。
 これが、シュライエルマハーの日々呼吸していた精神的風土でした。応答として彼は「宗教論―宗教を軽んずる教養人への講話」(Address on Religion to Its Cultured Despisers)を書きましたが、そこで彼はこのように述べています。

宗教は世界または神についての知識でも科学でもない。宗教は知識ではないが、知識や科学を認める。宗教はそれ自体において愛情affectionであり、有限の中での無限の啓示であり、神はその中において見出され、それは神の中に見出される(注12

 つまり、宗教とは愛情affectionであり、感情でありました。バルトが、「シュライエルマハーの神学は感情の神学、より正確には、敬虔な感情の神学である。それは、また、意識の神学であり、より正確には、敬虔な意識の神学である。」と言ったとおりです(注13
 この講話で、シュライエルマハーは、何事をも感情や美的感覚の見地から説明しようとした浪漫主義に非常に近づいているのですが、彼自身の感情の概念は特別な宗教性を持つものでした。後の体系的な著作の中で、彼はそれを「絶対依存の感情」と呼んでいます。
 これまで、シュライエルマハーは学派を形成しなかったと言われてきました(注14しかしながら、彼以後のすべての神学は彼に依拠しているとも言われてきたのです。「彼の教義学は誰にも採用されなかった。しかし、彼の影響は、自由主義、穏健派、信条主義など、すべての神学思想の学派、さらには、ローマ・カトリック、ルター派、改革派など、すべての教会にまで及んだ。彼と最も近い関係にあったのは、『調停神学者』vermittlungs-theologenと呼ばれた人々であった」(注15
 シュライエルマハーの信奉者には2種類ありました。一方ではシュライエルマハーは「現代神学の父」(注16と呼ばれました。多くの神学者たちは、彼の神学の主観的な要素を強調するの余り、超自然啓示のすべての痕跡を否定するに至りました。このような仕方で彼らは現代の意識に歩調を合わせたのです。
 また、他方では、保守派の存在もありました。多くの正統派の神学者もまた、シュライエルマハーに影響を受けたのです。彼らは聖書や信仰規準の内容を守ろうとしたのですが、人間の感情、すなわち、聖書と信仰告白が人間の心に引き起こす共感に訴えることによってそのことを行いました。これらの神学者たちは、またいくぶん聖書に批判的でもありました。カイパーが、彼のかつての半正統派の友人たちにさえ、容赦のない否を突きつけねばならなかったのは、まさにこの点であったのです。

(注9K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 378-380.
(注10A. Kuyper, De Vleeschwording des Woords (1887), p. 60.
(注11A. Kuyper, Encyclopaedie der heilige Godgeleerdheid, Vol. I (1908-2), p. 351.
(注12B. M. G. Reardon, Religious Thought in the Nineteenth Century1966, p. 44.
(注13K. Barth, Die Protestantische Theologie , pp. 400.
(注14Barth, p. 377.
(注15H. Bavinck, Gereformeerde Dogmatiek, Vol. I (1918), p. 140.
(注16Dillenberger and Welch, Protestant Christianity, p.189.

【7~8月の活動報告】


7月5日(日)長野佐久教会(長野会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:22~23)「勧めの言葉」。私どもにとって「口に苦い」言葉であっても、耐え忍んで聞くことにより、福音は私たちの生活を変える力となる。説教を聞く者に求められるのは、「注意力と準備とと祈りをもってこれに傾聴すること」「信仰、愛、素直さ、気構えをもって,真理を神の言葉として受け入れること」(ウエストミンスター大教理問答160)。

 7月12日(日)長野佐久教会(佐久会堂)にて、主日礼拝説教奉仕(ヘブライ13:12~16)「教会生活の三要素」。キリストの流された「血」によって、罪の赦しをいただいた私たちは、「礼拝」と「良い行い」と「施し」において、「賛美のいけにえ」を神に献げる。ここにキリスト者の生き様がある。午後、北軽井沢在住の富田渥子姉来訪、宮﨑契一兄、あかり姉も交え、教会生活について語り合う。
第二文庫(右側)

7月25日(土ICS軽井沢文庫に隣接する第二文庫が完成。追分宿でアンティークカレン」を切り盛りしておられるおじさんと親しくなり,手作りの立派な文庫小屋を造ってもらった。本の収納に少しばかりゆとりができた。

8月2日(日長野佐久教会(長野会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:24~25)「教会への挨拶と祈り」。キリストにある信徒ひとりひとりがキリストにある諸教会/伝道のために祈りを献げよう。日本の教会が力をいただく第一歩である。

8月9日(日長野佐久教会(佐久会堂)にて、礼拝説教奉仕(ヘブライ13:15~17)「指導者たちに従いなさい」。現役の牧師としては説きづらいテーマに違いないが、引退教師として語った。神様の前に責任を持つ者として,日々聖徒のために祈り牧会する指導者が喜んでその務めを果たすことができるように、協力することは、教会の健全な成長のために、また、私たちの全生活が主への賛美となるために,
必須のことである。


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